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ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」

作曲経過と演奏
1925年:
5月2日:南ボヘミアのピーセクの広場で、“永遠の恋人”カミラと、パソフスキー(1882~1952)指揮する、第11歩兵連隊「パラツキー」軍楽隊の演奏を聴く。昔ながらの服装で、ソロの時は起立して吹く楽士たちのファンファーレに、ヤナーチェクは深い感銘を受けた。

この時、当地ソコル体育館で、自作のヴァイオリン・ソナタ、「消えた男の日記」、「ラシュスコ舞曲」が演奏された。ピーセクには世界的に名高いヴァイオリン教育家シェフチーク(1852~1934)がおり、以前にヤナーチェクは彼をブルノに招こうとし、断られたことがあった。

1926年
4年毎に開催されるソコル体育団体の第8回祭典Slet(マスゲーム)用のファンファーレ作曲を、リドヴェー・ノヴィニ紙編集局から依頼される。

*注:「健全なる肉体に健全な精神宿る」をモットーに、民族復興運動の波に乗り、1862年に芸術史家のティルシュ(1832~84)が創設し、ヒュグネル(1822~65)が経済的に支援した団体。1864年にプラハ・ソコル(鷹の意)と命名、その後、各地に支部ができた。1882年から公開体育祭Sletを催し、1889年にチェコ・ソコル団体Česká obec sokolskáČOSが結成され、愛国運動に発展してゆく。第一次世界大戦中に団員は、進んでチェコ軍団に参加した。戦後、再編された団体は、スロヴァキアやポトカルパチア・ルス(現ウクライナ領)にも支部を置いた。

第8回ソコル大会楽団
写真:第8回ソコル大会における軍楽隊


3月2日から29日の間に完成、4月1日、写譜屋に草稿を渡す。

6月26日(日曜):作曲者臨席の3日間のリハーサルを経て、市公会堂内スメタナ・ホールで、ターリヒ指揮チェコ・フィルで初演された。

次いでロシア戦線からのチェコ軍団帰還兵、詩人メデク(1890~1940)の演説があり、『わが祖国』の演奏へと続き、ラジオで中継放送された。

7月6日:フルスコアをウィーンのウニヴェルザール社に送る。

7月6日:ソコル体育団体の行列が旧市街広場へ入場した際、ティーン教会屋上から“ファンファーレ”が鳴り響いた。

10月2日:ウニヴァルザール社から数ページについて確認の問合わせ。

11月:献呈先の検討。ロンドンに招いてくれた委員会でなく、ニューマーチ女史に変更。最終的にチェコスロヴァキア国軍へ。

ヤナーチェクはこの作品が“ソコル・シンフォニエッタ”と呼ばれるのを嫌い、“軍隊シンフォニエッタ”だ、と主張していた。彼の愛国心は、『タラス・ブーリバ』など、第一次世界大戦中の作品に反映されており、祖国独立後の1923年9月15日には、“わが国軍に寄す”という短いコラムすら書いている。

12月9日:クレンペラー指揮、ウィースバーデン歌劇場(反響はほどほど)。

1927年
1月:ポケット・スコア出版。クレンペラーと、シカゴSOの指揮者ストックに送る。1週間後フルスコア出版。

3月4日:クレンペラー指揮、ニューヨークSO(大した反響はなかった)。

4月4日:ブルノ初演は「軍隊シンフォニエッタ」の名称で、F・ノイマン指揮、国民劇場Oが行われた。同時にスークの「夏の物語」と「ヴォツェック」の3つの断章も演奏され、ラジオで中継放送された。

リハーサルで欠点が見つかった。すでにターリヒやF・ノイマンが、第3楽章の終り近くのプレスティッシモを、遅いテンポで演奏するのを容認していたヤナーチェクは、クレンペラーのテンポにも満足していた。

9月29日:ベルリン初演はクロール・オペラ劇場で、国立SOをクレンペラーが指揮、バッハの組曲3番、モーツァルトのピアノ協奏曲k,466(独奏シュナーベル)についで演奏され、絶賛を博した。クレンペラーはスコアの奇妙さを指摘。

10月14日:クラウス指揮フランクフルトでの演奏。

12月24日:リドヴェー・ノヴィニ紙に“わが町”なるエッセイを掲載(初出は12月4日のプラーガー・プレッセ)。

1928年
2月10日:ウッド指揮ロンドンBBCで演奏。当日ヤナーチェクはロンドンからの放送を聞きにプラハへ出かけたが、よく聞こえなかった。

2月12日:ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮、ウィーンSO・

3月16日:ドレスデン、F・ブッシュ指揮、協奏交響曲K.364とブラームスの第2交響曲とともに。

5月27日:ブルノ見本市会場開場に際し、「カーチャ」「イェヌーファ」と一緒に演奏され、ラジオでも中継放送された。

1929年:フランクフルト初演。

なお1966年から始まったブルノ国際音楽祭“モラヴィアの秋”は、シンフォニエッタの演奏で幕を閉じることになっている。最近では2004年、ブルノで催された“ヤナーチェク生誕150周年記念フェスティヴァル”で、イジー・キリアーンの振付(1978年創作)で、プラハ室内バレエ団が“シンフォニエッタ”を踊った。

作品について
「イントラーダ」を冒頭に置く、アレグロ、アダージョ、スケルツォ、フィナーレという、4楽章のほぼ三部形式の「交響組曲」で、内容は『タラス・ブーリバ』の姉妹編と言える。この作品について作曲者は語っている:
「・・・それから私が見たのは、奇跡的な変貌を遂げたこのブルノの町です。陰鬱な市庁舎*1、深みから悲鳴の聞こえてくる、かつては牢獄だったシュピルベルク*2の丘、通り*3や群衆などへの嫌悪が、私から消えたのです。奇跡のように自由が呼び出され、町の上に輝く・・それが1918年10月28日の祖国再生。私はその中に私自身の姿を見ました。私は祖国に属している。そして勝利のトランペットの咆哮。エリシカ王妃の建てた修道院*4の聖なる静けさ、夜の影、緑の丘の吐息、栄えゆく町ブルノの壮大さ。これらすべてが、私に“シンフォニエッタ”を書かせたのです」。

*注1:1240年頃建てられたブルノでもっとも古い建物で、四角く美しい塔や後期バロック(1510年作)の門を備え、17世紀後半に大改修が行われた。アーケードの天井には、いわくつきの鰐と車輪がぶら下がっている。1905年に塔は5メートル高くされた。1935年新市庁舎が出来るまで機能していた。

*注2:(ドイツ名Spielberg“決戦の丘”に由来)。ブルノ市中心の西,同名の丘(標高60メートル)に聳える城。ヤナーチェクはしばしばここを散策し,楽想を練った。1720年頃オタカル二世が建てさせたもので、1570年大火にあい、1620年にバロック化された。18世紀から19世紀紀にかけ、イタリア、ポーランドなどの政治犯の監獄に衣更えし、詩人シルヴィオ・ペッリコはじめ、イタリアのカルボナーリ党員らが投獄されていた(城入口の監獄墓地跡に1925年作の記念碑)。1855年から1960年までは兵舎として使われ(第二次世界大戦中はナチスの監獄)、1961年から博物館になっている。

*注3:1926年にヤナーチェクはブルノの町を回想している「・・コレラが流行し、葬儀が絶えず、そこでぼくら少年合唱隊は歌った。修道院前広場にはプロシャ兵が満ち溢れ、オーストリア軍は早々に退却していた・・軍楽隊は小さなブリキの太鼓を、渦巻くように響かせ、高音ピッコロがきしるような音を立てていた・・」。

*注4:エリシカ(エリーザベト)・レイチカEliška Rejčka(1286~1335):プシェミスルII世の娘、ヴァーツラフII世(1271~1305)の2番目の妃(1303)と、ルドルフI世(1282~1307)の妃(1306~07)。夫君の死後、所領のフラデツ・クラーロヴェーやブルノで過ごし,1323年、古ブルノに聖母被昇天マリア教会付属のクララ会修道院を建てた。この女子修道院が1783年に廃止され、アウグスチノ修道院に移行、18世紀半ばに広大な図書館を備える。ヤナーチェクが給費生だった頃、メンデルがここで活躍していた。


楽器編成
Fl.(4, Picc.)、Ob.(2,C.ingl.), Cl-B(2), Cl-Es(1), Cl.b.-B(1)、Fg,(2),
Hr.(4), Trp.-C(9),Trp.-F(3),Bass Trp.B管(2), Trb.(4),
Tenor Tub-B(2)、Timp.(2対)Piatt Campane, Arpa, Archi
調性、拍子、(カッコ内は小節数)

シンフォニエッタ譜例1

シンフォニエッタ譜例2
シンフォニエッタ譜例




第1楽章「ファンファーレ」:
金管とティンパニのみ。
アレグレット:Ges, 2/4(33)軍楽に特有のペンタトニック主題「譜例1」が空虚5度で響く~
アレグロ:上記の変形「譜例2」Es, 3/4(13)~
マエストーゾ:「譜例3」Ges 2/4(29)・3/2(9)最後はカノン進行。

第2楽章「シュピルベルク城」:
木管、Trb.4、弦が主体で、Trp.とHr..3の出番はほんのわずか。木管と弦のトレモロが目立つ。
アンダンテ:4/8(4)~Trb.持続音の上で、Cl.の細かいDesトレモロ音型「譜例4」。
アレグレット:Ob.にはじまる“主題1”「譜例5」は、リズミカルな点で、管楽六重奏曲「青春」(1924年作)の第3楽章“青服*の少年たちの行進曲”
を思わす。As,(26)~Piattiの一打まで、ほぼ管楽器のみ。
*(修道院給費生だった頃の制服)
メノ・モッソ:“上向抒情主題2”「譜例6」Es,(23)、旋律は木管、支えるのは32分音符弦のオスティナート音型。
ピウ・モッソ:“H主題3”「譜例7」Ces,(3)~メノ・モッソA,(3)~
ピウ・モッソ: 2/4:Ces,(75)~“4分半音符、上向音型”、4分音符+8分音符2ヶ音型の“主題4”、高音弦トリル、“主題3”などが現れる。
マエストーゾ:重厚な“下降主題5”「譜例8」=城壁にはためく旗。E. 12/8(1)・13/8(3)・3/4(2)・Ges. 4/4(5)・2/4(2)
ピウ・モッソ:“主題4”2/4(11)
マエストーゾ:“主題5”As, 4/4(1)・13/8(6)高音弦をバックにTrp.が5度音程を静かに響かす。
テンポI:Arpaのアルペッジを伴いOb.に「譜例6」の変形“主題6”「譜例9」Des, 4/8(24)・As, 4/4(1)“主題5”・13/8(3)・2/4(2)
アレグレット:冒頭の再現2/4(16)。

第3楽章「エリシカ王妃の修道院(の夜)」:
モデラート:TubaとBCl.持続音の上で、弱音器つきVl.とVc.が“叙情主題1”Ces,「譜例10」を奏で、これは木管に渡され Hp. Vla.アルペッジォでこれを彩る・2/2(1)・3/2(2)・2/2(1)・3/2(4)・2/2(23)、Cor.ingl.の登場・3/2(4)・2/2(23)・3/2(4)・2/2(2)・3/2(1)
コン・モト:Trb.の挑むようなシンコペートされた音型が、Picc. Fl.ユニゾンの素早い上下動と交代で現れるDes, 2/4「譜例11」(38)。
テンポI:3/2 (1)・2/2(1)・3/2(1)・1/4(1)~
ピウ・モッソ:他楽器が舞踏調のリズムを刻む上で、Trb.が“やや荒々しい主題2”「譜例12」as, 2/4を刻む(36)~Cor.ingl.の登場、金管の咆哮~
リステッソ・テンポ:2/8(31)次第にクレッシェンドし、主題は他楽器に渡されてゆく~
プレスティッシモ:Hr.とTrp.を主体とする管楽器の勇ましい叫びのあと2/8
(23)~Picc. Fl.の素早い上下動。
テンポI:2/4(3)~
モデラート:「冒頭主題の回帰」2/2(2)・3/2(1)・2/2(1)~
ピウ・モッソ:2/4(3)~メノ:2/2(2)・Cor.ingl.の登場・3/2(1)・2/2(3)。
 「譜例11」と「譜例10」が交互に短く静かに回想される。


第4楽章「街頭(パレード)」:
1866年、修道院広場はプロシャ占領軍であふれていた。単一主題が十数回くり返される。
アレグレット:Trp.の奏でる行進曲風の“主題1”「譜例13」は、弦の流れるような対旋律、高音トリルを伴う。Des, 2/4(93)・1/4(1)・2/4 (3)・
1/4 (1) Campane.が鳴る・2/4(18)~
アダージオp.:下降音型2/4(2)~プレストf.~2/4(4)~
アダージオp.2/4(2)~プレストf.:2/4(10)~
メノ・モッソ:2/4(16)主題はOb. Trp.と静かに渡され、Arpa.と低弦の8分音符上下動オスティナートがこれを支える~
アンダンテ:2/4(6)~プレスト2/4(4)~
プレスティッシモ(コーダ):2/4(7)。木管と高音弦の上下動オスティナート(as- des- ges- des)と、Cl.のトリル、Hr. Trp.と低音弦のes- f音の反復で終始する(オペラ「女狐」を連想)。
 
第5楽章「市庁舎」:
全曲のクライマックス。
アンダンテ・コン・モト:前楽章の陽気さを惜しむかのような、Fl.3本が奏でる“優美な主題1”「譜例14」に、弦の下降6連音(3x2)の執拗なオスティナートが続く、Ges ~A, 2/4(38)~
メノ・モッソ:“牧歌主題2”「譜例15」が、Picc.の高い持続音を伴い、Cl.~Ob.~Fl.と高らかに奏でられ、クレッシェンド、アッチェレランド、Cor.ingl.の登場、Ges 2/4(29)~
ピウ・モッソ:上弦3部が16分音符6連音で、細かい和音進行をくり返す上で、
Fl. とCl.が32分音符で対話してゆき「譜例16」、次第に他楽器も加わる。
2/8 (31)・1/8(1)~
マエストーゾ:第3楽章が短く回想され、Cl.の叫び3/2(6)~
テンポI:“牧歌主題2”Ges 2/4が再現し、次第に強度を増し、2/4(15), 3/4(1)・2/8(12)「譜例16」の下でPiattiの一打と、Trp.のes- ges- es音が3回鋭く鳴り「ファンファーレ」を予告。
アレグレット::第1楽章「ファンファーレ」主題が、今度は弦、木管のトリルとトレモロの連鎖を伴って再現。2/4(33)~次第に他の楽器も加わり、ダイナミズムを増してゆく~
アレグロ:Timp.が轟き3/4(16)~
マエストーゾ:第1楽章主題に、Pic. Fl. 高音弦のトリルがきらびやかに加わる。
2/4 (29)13~19小節にかけPiattiが鳴り響き・3/2(9)~
アダージオ:3/2(7)、トゥッティで全音を伸ばし、Cl. Vl.ユニゾン・トリルのうちに、変ニ長調主和音で終止する。

ディスコグラフィ
           演奏時間
1946:クベリーク、チェコフィル ////////
1951:クレンペラー、コンツェルトヘボウ  23:28
1951:カンブルリング、モネ劇場SO    ///////
1955:バカラ、ブルノ放送SO 23:04
1960:ホーレンシュタイン、ウィーン・プロムジカ 28:03
1960:マッケラス、プロアルテ       25:14
1962:アンチェル、チェコフィル      22.07
1965:セル、クリーヴランド 23:38
1968;アバド、ロンドンSO        23:05
1970:クベリーク、バイエルン放送SO 21:49
1974:ケンペ、BBC SO          ///////
1977:コシュレル、チェコフィル 23:04
1978:レーグナー、ベルリン放送SO 23:50
1979:マタチッチ、ザグレブフィル    24:01
1980:エルデーイ、ローマ放送SO 23:27
1980:マッケラス、ウィーンフィル     24:10
1982, 84:ノイマン、チェコフィル, 22:52
1982:ラトル、フィルハルモニア      23:01
1984:小沢、シカゴSO 21:50
1986:イーレク、ブルノフィル 22:14
1986:リリング、スコティシナショナルSO ///////
1987:アバド、ベルリンフィル       23:59
1988:プレヴィン、ロスアンジェルスSO 23:29
1988;テンシュテット、ロンドンフィル    ///////
1988:フェレンツ、ハンガリー・フィル   ///////
1989:ナザレ、スロヴァキアフィル     ///////
1989:ヤルヴィ、バンベルクSO      25:10
1990:レナルト、スロヴァキア放送SO 19:10
1990:トマス、ロンドンSO        22:52
1991:デュトワ、モントリオールSO 24:11
1991;ビェロフラーヴェク、チェコフィル 23:18
1992・ペシェク、フィルハルモニア     ///////
1995:セレブリエ、チェコフィル      ///////
1998:デイヴィス、ストックホルムSO    ///////
2006:ノート、バンベルク         22:57
///////:ホルヴァート、ORF DO 21:41
///////:ケーゲル、ライプツィヒ放送SO    ///////
///////:マズア、ニューヨークフィル     ///////

(1998年10月23日、会場;原宿カサ・モーツァルト:
「日本マルチヌー協会」第12回例会プログラム, 2009年補筆)
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[ 2009/09/12 15:24 ] 音楽解説(チェコ音楽) | TB(-) | CM(-)



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