スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

書評:内藤久子著「チェコ音楽の魅力」

これは著者が5年前に出した「チェコ音楽の歴史=民族の音の表徴」のダイジェスト版である。スメタナとドヴォルジャークの項は、よくまとまっており全体像がつかめて読みやすい。「モルダウ」主旋律のルーツ探しは興味深い。聴覚と職を失った晩年のスメタナが、かつて暖かく迎えてくれたイェーテボリの人々を思い出し、スウェーデン民謡「美しきヴェルメランドよ」を引用した、というのが私の見解。もっとも原点はユダヤ聖歌とも言われ、現在イスラエル国歌にも引用されている。

スメタナは「作曲ではモーツァルト、ピアノ演奏ではリスト」を目指したほどの名手だったのに、ピアノ作品についての言及がほとんどない。またドヴォルジャークも若い頃、失恋の痛手を「いとすぎ」に託し、この歌曲集は彼の生涯の道しるべとなり、初恋の相手である義姉ヨゼフィナが愛唱していた「私にかまわないで」作品82の1の旋律を、チェロ協奏曲の第2楽章に入れている。それほど重要な分野である歌曲についても触れていないのが残念である。

20世紀初頭の「スメタナ=ドヴォルジャーク論争」は面白い。ネイェドリーのドヴォルジャーク軽視には、当初から反対意見が多く、「彼がドヴォルジャークの娘に振られたからだ」という風評さえ立つほどだった。スメタナとドヴォルジャークは師弟関係にあったから、この二人にとり上記の論争は迷惑千万な話である。ネイェドリーは非難の矛先をヤナーチェクにも向けた。

ヤナーチェクはオペラ『ブロウチェク氏の旅』完成後、1917年12月13日のリドヴェー・ノヴィニ紙上で「ネイェドリー(食えない奴)一派の毒舌月評家ヘルフェルトの姿を前に、私は恐れ慄きながら、音楽作品のいくつかの例を思い出す」と述べている。しかしヘルフェルトは2年後ブルノへ移りヤナーチェクの真価を知ってからは、彼の熱烈な信奉者となった。

著者がヤナーチェクの民謡研究を、可愛らしい編曲集「クラーロヴニチキ」(小さな女王たち)を例に、スチャソフカ(リズム化、時間的調和)から始めているのは傾聴に値する。以前の著作にも見られた「シンフォニエッタ」や「コンチェルティーノ」などの楽曲分析は学究的過ぎて、一般読者向けとは言い難い。

現在チェコ・オペラといえばヤナーチェクの作品で、『シャールカ』と『物語のはじまり』以外の7本は、世界中のオペラ・ハウスのどこかで必ず上演されている。だからヤナーチェク音楽の真髄であるオペラにもっと紙数をさき、ルハチョヴィツェ温泉で出会った数々の人々、とくにオペラ『運命』作曲の機会を与えてくれたカミラ・ウルヴァールコヴァー、『イエェヌーファ』プラハ初演の立役者カルマ・ヴェセラー、晩年の傑作を生み出す源となったカミラ・ステッスロヴァーらとの出会いを通じ、ヤナーチェクの赤裸々な人間像も描いて欲しかった。

(レコード芸術2007年4月号)
スポンサーサイト
[ 2007/12/07 12:29 ] レヴュー | TB(-) | CM(-)



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。