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マルチヌー作曲 ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画 H.352

1953年アメリカからヨーロッパへ戻ったマルチヌーは、翌1954年春のイタリア旅行中に、トス カナ地方はアレッツォのサン・フランチェスコ聖堂内で、ピエロ・デルラ・フランチェスカ(1415頃~92)の描いた一連の十字架伝説画(1455~65 年作)を見て感動し、翌55年2月から4月にかけニースでこの曲を書いた。初演は56年8月26日R・クベリーク指揮するヴィーン・フィルが、ザルツブル クで行った。オーケストレーションはピアノを除いてハープを入れ、8つの打楽器を駆使した4管編成である。

第1楽章:アンダンテ・ポー コ・モデラート、8分の6拍子、変ホ短調~変ロ長調
叡智と富のソロモン王に貢物を捧げるシバの女王と従者たちの絵による。弦のトレモロを伴う短い前奏のあと、曖昧模糊としたフルート、ヴァイオリンの奏でる 音型ではじまり、次第に他の楽器を加えて頂点に達し、R・シュトラウス風の甘美な旋律が、転調しながら延々と展開される。管が減七の和音でうごめく経過句 をへて、イングリッシ・ホルンがハープのハーモニクスと弦のトレモロを背景に、アラビア風の旋律を怪しげに奏でる。独奏チェロの短い応答があり、ファゴッ ト・ソロの下降型で再現部に入り、管とハープの分散和音でしめくくる。

聖木の橋 を礼拝するシバの女王、ソロモンとシバの女王の会見(聖十字架物語)

第2楽章:アダージオ、4分の 4拍子、変ロ短調~変ロ長調
天に描かれた十字架を夢に見て、宿敵マクセンティウスを倒したコンスタンチヌス1世(280頃~337)の絵による。弦のトレモロの上でクラリネットと ファゴットが、ゆったりした上下に波打つ旋律を奏でる。夜のしじまを縫ってナイチンゲールや怪鳥が鳴き交わし、独奏ヴィオラが遠くの陣営のラッパを模倣す る。弦の刻む行進のリズムに乗って、オーボエが異教の旋律を、さらにフルートが天上の楽の音を奏でる。やがて穏やかな旋律が低音弦から高音弦へと受け継が れ、ティンパニが鳴って作曲家アメリカ時代の遺産であるペンタトニックの懐かしい旋律が弦に出て、他の楽器は上向グリッサンドの反復でこれを彩り、高らか なティンパニ・ソロの連打で終わる。

コンスタンチヌスの勝利


第3楽章:ポーコ・アレグロ、 8分の6拍子~4分の3拍子、変ホ長調~変ロ長調
特定の絵ではなくフレスコ画全体から得た印象を綴っている。弦のピチカート、ホルン、打楽器の上でクラリネットに始まる2度音程がくり返される。これが一 段落すると、半音階的に上下するモチーフがチェロからヴァイオリンへと渡され、ホ長調の全音階的な郷愁をそそる優美な旋律となる。半音階モチーフがフルー トに出たあと、トランペットはスクリアビンの「法悦の詩」を思わす音型を鳴らす。弦を主体とした部分を経て冒頭部分が再帰し、最後は変ロ長調の望郷の歌で 静かに全曲をとじる。

(1986年5月、日本コロムビアCDライナーノートより転載)

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聖十字架伝説

アダムの息子セツは、大天使ミカエルから小枝を1本授かり、これを亡父の墓の上に植えた{ アダムの死:D1 }。これはのちに見事な大木となったので、ソロモン王(在位:前961~922)は、神殿付属の「レバノンの森の家」(武器庫)の建築に用いようとした。 しかしどう切っても寸法が合わないので、シアロムの池にかかる小橋の建材にしてしまった。

南アラビアはシバの女王が、ソロモンの叡智を試しに(実際は交易のため)訪れた折{ ソロモンとシバの女王の会見:D2 }、将来{ 受胎告知:B3 }キリストがこの木に架けられるのを予感した彼女は、この橋の前に跪き恭しく拝んだ。彼女の予言を信じた王は、この木を地中深く埋めさせた{ 聖木の運搬:C2 }。

後世その場所に養魚池が掘られ、キリスト受難が近づいた頃、その木がひとりでに浮かび上がってきた。ユダヤ人たちはこれを拾い上げ、主の(聖)十字架を 作った。この十字架の木はその後、200年以上も地中に埋もれていた。

コンスタンティヌス(280頃~337)は、帝位継承戦争のさ中、敵のアクセンティウス(?~312戦死)を、ローマ郊外で迎え撃つ前夜、十字架が天に輝 くのを目にし、天使に勝利を予言された{ コンスタンティヌスの夢:C3 }。そこで彼は軍旗の代りに十字架を掲げて進撃し、勝利をおさめた{ コンスタンティヌスの勝利:D3 }。

326年頃コンスタンティヌス1世は、聖十字架を探しに、母君の聖女ヘレナ(255頃~330頃)をイェルサレムへ遣わした。彼女はその場所を知っている ユダ・クィリアクスを1週間、涸れ井戸に閉じ込めて口を割らせ{ ユダの拷問:B2 }、ゴルゴダの丘に案内させた。そこに建っていたハドリアヌス帝建造になるヴェヌスの神殿を壊し地中を掘ると、キリストと2人の盗賊の処刑に用いられた3 本の十字架が現れた{ 十字架の発見と検証:A2 }。 

 615年ペルシャ王コスロエスはヘレナがイェルサレムに残した十字架の一部を盗んだ。その息子を皇帝ヘラクリウス(575頃~642)はドナウ河畔で破 り{ ヘラクリウスとコスロエスの戦い:A3 }、聖十字架遺物をイェルサレムに持ち帰った{ 聖十字架の賞揚:A1 }。


サン・フ ランチェスコ聖堂、中央礼拝堂壁画配置図


サン・フ ランチェスコ聖堂


(ヤコブス・デ・ヴォラギナ著「黄金伝説」参照)
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[ 2009/05/08 08:02 ] 音楽解説(チェコ音楽) | TB(-) | CM(-)



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