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ハースの生涯と作品(2)

40年8月から書きはじめた未完の「交響曲」にも、上記コラールとシナゴーグの歌が引用されている。詩篇の雰囲気をただよわせ、半音階進行の目立つ第1楽章では、光と闇、善と悪、信頼と絶望が交錯している。小太鼓とピッコロでナチス軍隊の行進を揶揄し、ナチスの軍歌Horst-Wesselや、ショパンの葬送行進曲のパロディーを入れた、第2楽章のスケッチを終えた翌9月19日、ハースらは胸にユダヤの黄色い星をつけさせられた。

41年4月25日、彼は父親とともにサドヴァ通り8番地のユダヤ人収容団地に移され、外部との接触を禁じられた。そこにはピアノがなかったので、ハースはブラチスラヴァ通り21番地のローレノヴァー夫人と話をつけ、ひそかにピアノの個人教授を続け、ここで妻と会い交響曲の作曲も続けていた。平和への願いをこめた第3楽章のスケッチはわずかだが、フス戦士のコラール「汝ら神の戦士たち」(フーガ)が引用されている。9月下旬には第1楽章のオーケストレーションに入ったが、第3楽章のスケッチは10月22日で終っている。

41年12月2日、彼は父と共に第一陣としてテレジーン収容所に送られた。1年を無為に過ごしたのち、後輩のクライン(1919~45)に勇気づけられ作曲を再開する。ここでの作品の中では、アンチェル指揮する室内楽団用に書かれ、ドヴォジャークの「レクイエム」主題をフーガに引用している「弦楽オーケストラのためのエチュード」(43年)と、バリトン歌手ベルマン*15の依頼で作られた「中国の詩による4つの歌」(44年)*16が光っている。この直後の5月13日にハースの父が息を引き取った。


当初は文化活動を禁じていたナチスも、収容所内のトラブルを回避するためこれを許可した。さらにナチスは占領地域での暴挙をカムフラージュするため、44年6月23日オランダ、デンマーク、スウェーデン3ヶ国10名からなる、国際赤十字視察団一行をテレジーンに招いた。事前に収容所は飾り立てられ、食事も十分に支給され、「トスカ」とクラーサ(1899~1944)の子供オペラ「ブルンヂバール」が上演され、ヴェルディの「レクイエム」とハースの「弦楽のエチュード」などが演奏された。この時の模様を撮影したのが「総統はユダヤ人にこの町を贈られた」という宣伝映画で、終演後の写真にはアンチェルの横で挨拶しているハースの姿も見える。

Haas&Ancerl
※写真は「弦楽のエチュード」終演後に挨拶するハース。指揮はアンチェル。

 しかし9月終りから10月にかけ、ほとんどの芸術家がアウシュヴィツに送られ、ハースも現地到着の翌10月17日にガス室で殺された。死の直前まで書いていた「レクイエム」は未完で手稿も残っていない。

注14:弟子の中には「冗談」などで有名な作家になるミラン・クンデラ少年もいた。

注15: カレル・ベルマン(1919~95):南ボヘミア生まれの彼は38年プラハ音楽院に入ったが、ナチス進駐後は偽名で演奏活動をしていた。テレジーンでは歌う以外に「5つの歌曲集」なども作曲していたが、44年9月末アウシュヴィツに送られる。ここでは機転をきかせてガス室行きを免れ、各地収容所生活を生き延びた。戦後はオパヴァとプルゼニュ劇場でソリストと演出を担当、53年からプラハ国民劇場のソリストとなり、61年から88年まで、音楽院、芸術アカデミーで教鞭をとっていた。演出家としてもイェーテボリやライプツィヒなどにしばしば招かれていた。1976年東京での「チェコ音楽祭」では「第9」のソリスト、85年7月のプラハ国民劇場オペラ団初来日では、レポレロ役を見事にこなしていた。最後の出演は死の3ヶ月前の「テレジーンでの音楽祭」だった。

注16: 「中国の詩による4つの歌」は44年2月から4月にかけ作曲され、6月22日テレジーン市庁舎で、ルーマニア人ピアニスト、シェフター(1905~44)の伴奏でベルマンが歌った。
テキストは古い中国の詩のB・マテジウス(1888~1952)訳によっており、内容はいずれも左遷された者の望郷の念を綴ったもので、旋律は半音階で推移し、ピアノ伴奏は4音を上下するオスティナートを基調とし、第3曲だけは活気に満ちたリズミカルなもの。
第1曲「鴨の声を聞く」(魏京伍 Weie Jing Wu)。私の心は遠い故郷へ、異国の秋雨と冷たい風に打たれ、渡りゆく鴨の鳴声が身に沁みる。
第2曲「竹林で」(王維 Wang Wei, 701~61)。独り竹林に坐り、琴を奏で詩を吟ずる私、東のかた竹の葉がくれに三日月を見る。
第3曲「遥かなる故郷の月」(張秋林 Chang Tiou Lin)。暗い海から大きな月が出る、遠い故郷でも今や花は満開。月は私の悲しみの中で光を増し、霜は冷たく夜着をまとうが手は空ろ。望郷の念で眠れない。
第4曲「眠れぬ夜」(張翼 Chang Yi, 1727~1814)。竹が風に揺れ、月が岩の上にかかり、天の川を鴨の影がかすめる。私は親しい人たちとの再会を夢見、喜びの歌を口ずさむ。


参照文献:
Lubomír Peduzzi: Pavel Haas, život a dílo skladatele,
Muzejní a vlastivědná společnost v Brně, 1993
ペドゥッツィ氏は1918年グラーツ生まれの歴史家、詩人、作曲家
(代表作:女声合唱曲: 悲しみSmuténka)

terezin
※写真はテレジーン収容所

(2006年日本ヤナーチェク友の会会報)
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[ 2007/12/27 12:38 ] 音楽解説(チェコ音楽) | TB(-) | CM(-)



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